女一人で海外出張: 前近代的社会で暮らす

2017年6月20日火曜日

前近代的社会で暮らす

 アフリカ出張から戻ったばかりのAさんと、晩御飯を食べた時の話です。笑うと日焼けした顔から白い歯がこぼれるエネルギッシュな女性です。その時聞いた話が、時おり、私の意識の深い所から顔を出すことがあります。

A:「私達が現場入りする前に、部族の長が亡くなったのよ。その生贄狩りが一週間前に終わっていたから、タイミング的に運が良かったんだけど、一週間ズレていたら危なかったかも。」
Aさんは笑って話しました。

イケニエガリ?状況が飲み込めない私に、Aさんは説明してくれました。


A:「部族というか、その地域で偉い人が亡くなると、お葬式あげる時に生贄を用意するらしいの。らしい、と言うのは、私も現地の人から聞いたからで、見てはいないよ。偉さによって生贄の人数が決まって、と言うか、生贄の多さがその故人の偉さを示す事になるんだけど。今回は5人で終わったらしいよ。」

「え~~~!ちょっと待って、人数って、人?人を狩るの?葬式の生贄?」
面食らっている私に、Aさんは続けます。

A:「うん。人を狩るの。人狩集団が周辺の村々を周って人を狩るの。指令者が、『あいつだ』と指差した人間を片っ端から襲うの。そりゃ皆逃げるよ~。遭遇しないように。そろそろ人狩りが来るって噂も広がるし。」
A:「今回、生贄として殺された中に、たまたま実家に帰省していた大学生の男の子が含まれていたのね。後で判明した事なんだけど。それで、指令者が『この男性は大学生だから他の人間3人分の価値がある。』として、今回の生贄は彼を含めて5人で終わったみたい。」

「この時代に、そんな事があって良いの?問題にならないの?住民はそれでいいの?警察とか、国は放置してるの?」と、たたみかける私。

A:「は、は、は。警察なんていないし、国という行政よりも、部族の長の力が一番強いよ。呪術師とかも強いね。警察と言うか、力の執行者としての人達が今回の人狩集団になるわけだし。もちろん住民は殺されるのは嫌だと思っているけど、生贄の風習は、そういうものとして、住民は受け入れているんじゃないかな。」

 「外人も人狩りの対象になるのかな?」

A:「なるんじゃない?酋長や呪術師に確認してないから分からないけど。可能性はあると思う。なに、日本人?じゃ+3ポイント、大学出てる?更に+3ポイントアップ、でも女か~-1ポイント。合計+5ポイントになるから、今回はこの日本人一人で良しとしよう!なんてなるかも。あっはっは!」

レアアイテムは狙いの的ですか・・・

A:「住民としてはその方が良いかもね。自分の親族が襲われずに済むわけだし。」
A:「でも、部族長側は避けたがるんじゃないかな。現地で活動している外国人を狩ったと国や外国政府に伝わった場合、国際問題になりかねないし。それこそ自分たちのコミュニティーに大きな外力に入って来られるのは避けたいだろうし。」
A:「・・・でも、わかんないな~。指令者のその時の気分が左右すると思う。『どうしても、あいつを生贄に欲しい』と思われたら狩られるよ。きっと。」

その時は、私はいくら出張を命じられても、こういった地域に行かないようにしよう。と、心に固く思いました。行くとしても、最低でも45人のパーティーを組まないと。人狩りシーズンに、よそ者一人で行動していたら、人知れず消えてしまい、周辺住民も口をつぐむのでしょう。

 当時は意識の奥底に沈めたこの話題ですが、ふとした拍子に浮かび上がり、思考のほとんどを占める事があります。私は、人は誰でも人としての尊厳が守られるべきだと思うのですが、現実の世界は明らかにそうではない。アフリカでは、亡くなった“偉い人”のために、人が狩られる。屠殺される。家畜のように。

 これまで日本の中で、法に守られ、人々はマナーを守り、周りを思いやりながら暮らしていると、不公平や差別が当然の事として存在する世界を受け入れられず、また、受け入れたくないと強く思います。ですが、そんな前近代的なアフリカの一部の地域を、我々は奇異の目で見ることができるのか?と自問します。

 海外の先進諸国では、不公平や差別は日本より歴然とした形で存在します。偽善のベールで上手く包み隠していますが差別意識・その裏返しの特権意識は普通にあります。腕力の延長にある武力、お金持ちという経済力、を持つ一部の人達が好き勝手にでき、それを仕方ないと追従するのが、力を持っていない大多数の人々であるように思います。

 それは結局、前近代的なアフリカの人狩社会と同じではないのでしょうか?日本もそうなって良いのか?海外にあるような弱肉強食の社会に。
 昔ながらの、信頼関係に支えられた日本社会の良さが、今、本当に崩壊しつつあると思います。

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